人間不信をしていたわたし
こんにちは、まどかです。
タイトルおも。でもなんか、今だから、掘り返したくなって。あの頃のわたしは、なんで人間不信っていうマスクをかぶっていたんだろう。っていう振り返り自己満アウトプットです( ´ ▽ ` )
今のわたししか知らない人にこれをいうと結構びっくりされるけど、本当です笑
正確にいうと、人見知り期が、幼少の頃から21才くらいまでで、人間不信は14才から高1くらいまででした。
うちの両親は、基本コミュ障で、二人とも人付き合いが苦手で、姉もそうだし、みんな今でも素で接せれる友達はおそらくいない。父は友達一人もいない。そんな家族です。
人と話すときは謙遜して、遠慮して、声のトーンを上げて話す。自分から話しかけるということは基本しない。そんな母親に育てられたわたしは、保育園の時も、小学校の時も、誰かが話しかけてくれるのを待つ子だった。自分から話しかけるなんて絶対できなかった。
小学生の時のこと思い出すと友達になろ〜って話しかけてくれた子がいたけど、あれって、謎よね笑 友達になろう〜。いいよ〜。で友達として成立するのって、不思議。付き合おう。いいよ。だけで成立するカップルも謎。ラベル貼っちゃえばそうなるっていう。なんか面白い。余談でした(`・ω・´)
んで、誰かが話しかけてくれて打ち解けると、明るい性格ではあったので、友達はいた。小学校は6年あるし、毎年クラス替えがあったから、みんな友達、みたいな感じだったと思う。小学校と中学校1年までは、周りが慣れた人たちばかりだったから、部活の子とか仲良くてすごーく楽しかった。
その楽しさを全て奪われた悲劇の出来事が引越し野郎だった。引っ越すと言っても、同じ市内で、区は違うけど、車で30分ほどしかない距離への引越し。中学の部活も友達も大好きだったわたしは、転校が嫌すぎて、泣きながら越境で通わせてほしいと懇願した。どれくらいお願いしたかは覚えてないけど、受け入れてもらえなかった。
この出来事でわたしの心はパタリと閉じた。
もう、何も感じないように、蓋をした。
引っ越した先の学校の子達は、今振り返ればすごく親切だったし、話しかけてくれたり、手紙をくれたり、それこそすごくウェルカムな雰囲気だったと思う。でも、わたしの気持ちがその現実を受け入れられなかった。全てを遮断してた。
だから、部活入っても、溶け込めず。クラスで笑いが起こってもそのセンスが理解できず。何一つ楽しくない。もちろん勉強なんて、訳がわからない。そもそも引っ越す前から部活だけしに学校行ってて授業中は寝てたけど、学校代わって習うことも違って、いろいろ違いすぎて、何もかもが嫌すぎて、それでわたしは自分に”人間不信”というラベルを貼った。
悲劇のヒロイン誕生。
あの頃の写真を見ると怖い。闇そのもの笑 ただの暗い子といえばそうなんだけど。とはいえ、友達はいた。ネクラな子達とつるんでた。今思えばそれはそれで楽しかった。あの頃のわたしは自分のことも人のこともかなりジャッジしてたなー。
人間不信に関しては、中学に通ってる間は解消できず。今思えば両親への沈黙の反発もあったかも。この頃は確かもう反抗期だったんじゃないかと思う。その辺、この頃の記憶はほとんどない。いつの頃からか、口を開けばケンカで、姉ともケンカ、母ともケンカ、父親にはバカにされるって思ってて、家に居場所がないと感じていた。
高校に入ると、高1の時はまだ人見知りではあったものの、環境が変わったおかげか人間不信は少し解消されていて、すぐに友達ができた。でも、友達コンプレックスみたいなのがあって、人付き合いも苦手だった。子供の頃からなんとなくずっと感じてたけど、わたしは群れるのが苦手だった。でも、”親友”とか”幼なじみ”とかには憧れた。
わたしは自分の全てをさらけ出したり悩みを相談する友達ができたことがなかった。まぁそれも、自分が閉じてたから、そりゃそうなるっていう話ですが、その頃は全くわからなくて、とにかく鈍感で、色んなことがわからない子だった。
高2くらいからは割と普通な人間になってきて、だんだん普通の子たちと話せるようになったけど、そうなると今度人との距離の取り方がわかんなくて、わたし、正直すぎて知らないうちに人を傷つけていたようで、友達に急に無視されるとか、まぁいろいろそういうこともあった。でも友達って思える存在がやっとできて、この頃には人間不信は完全に溶けてなくなった。
残ったのは人見知りと、ぶあつーい壁。わたしには母から自動的に受け継いでいた意味のわからない自己価値の低さと遠慮も深く染み込んでいた。今思うと本当にグッチャグチャの精神状態だった笑
あの頃は、悩まずにいられるなら悩みたくないけど、思考が止められなくて、常に何かに悩んでいた。
高3になって、初めて彼氏というものができた。それも、まぁいろいろこじらせた精神状態のわたしだったのですごい執着だらけだった。でも、人と付き合うという、誰かが自分を好いてくれるという経験は多少なりともわたしにとっては大きなターニングポイント経験だった。長くなるのでこの辺りは割愛します。
高校を卒業して、専門学校に入った頃、多少マシにはなってたけど、まだ人見知りというか、自分から話しかけるということが苦手だった。
この専門学校の友達は、わたしとは全然違うタイプで、自分大好きピーポーに出会った。この人たちとの出会いで、わたしはかなり変わったと思う。自分大好きピーポーは本当に魅力的で、大好きだった。
ここからまどかは海外に出たり、上京したりと、外に出て、色んな人に関わる中で徐々に”人見知り”の称号を手放した。それも、完全に手放せたのは21才の時、上京して住んだシェアハウスのおかげ。
そう思うと、本当に場数。わたしの場合は場数で解消した。遠慮とか壁とかいろいろずっと引きずっていた物も、海外へ出て、色んな国の人と関わったり、色んな経験をする中で自然と解消していった。
あ〜こうして振り返ると、わたし、よくやってきた笑
自分で自分にありがとうと言いたい。今、心から自分が大好きで、周りにいる人たちも大好きで、毎日、毎瞬しあわせ。悩みなんてひとつもないし、不安もない。あんなに苦しかった日々が嘘のよう。現実がアリエナイくらいに面白い。
あ〜しあわせ〜。振り返ったらしあわせマシマシ。
人生って本当面白い。ってゆか、やっと本気で面白くなってきた。ここまでまどかの人生劇場に出演してくれたみんな、全員に感謝だなー。
全てに感謝だけど今の幸せの最大のきっかけをくれたAkikoさんにスペシャル感謝だなー。大好きな仲間たちとであえた事がほんとしあわせ〜ありがたいありがたい。しつこいけど、ほんとありがたい♥️
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