生きる理由を見失う

生きる理由を見失う

正直言って、生きる理由を見いだせない。去年くらいからそれを感じていた。

けど考えてみれば、今までの人生も理由という理由はなかったのかもしれない。

ただ、宇宙とかこの世界の本当のところをなんとなく理解した今だから、そう感じるのかもしれない。

自分のこの世界の見方というのが変わってからというもの、日々、クセなのかエゴなのか、はたまた過去からのカルマなのかを切り替え、修正を愚直にやり続けて、気づけば一つ一つの出来事への捉え方が変化し未来への不安というものや、悩みというものはなくなった。

一切ない、とは言わないんだけど、日常的にあった細々した悶々とした悩みや、漠然とした不安みたいなものは、ない。

かなりフラットになったが故か、逆に、すごく楽しいとか大興奮、ということもほぼない。

とても単調であり、なんとなくだけど、今やっと取り戻したこの静けさがベースとなり、現実創造をする基盤をやっとこさ整えてきたのではないかと、思う。

振り返れば、この数年で凝縮された感はあるものの、ポイントポイントでその種まきのようなものはあって、やっとここまで来たという結構壮大な感じ。

周りがあーだこーだと言っているかもしれないけど、わたしは、わたしのペースを大切に、生きる理由がないままに今この瞬間を積み上げていこうと思うのです。

わたしは、地球の未来も宇宙のこともわからないわけだけど、視点を切り替える、見方を変えるは、相方のみーちゃんのおかげでだいぶ得意になったと自負していて、

それは、なんでそうなったか、というと、みーちゃんと話す中で「え、それでいいのか????」っていう視点の転換をひたすらさせてもらってきたのが大きいと思っている。

なので、思考の転換のキッカケが欲しい人へのオススメインスタフォローしてもらえたら嬉しいです。