おじいちゃんが死んだ
今朝
おじいさんの呼吸止まりそうって病院から連絡きて両親が病院行って
そのあと、「呼吸とまってた」
てお母さんからLINEきてた
最後におじいさんに会ったのはいつだか
痴呆になり始めていたらしくいつのまにやら施設に入ってどう過ごしていたのか全く知らない
呼吸とまってたってことは、家族の誰も近くにいない状態で亡くなったんだろうなと思った時
寂しかったかなーと思った
おばあちゃん亡くなってからたぶん15年、ひとりでどう感じて何をして生きていたのかもよく知らない
わたしが思い出したおじーちゃんの顔は笑ってた
おじーさんは独特な人でまともな会話はほとんどしたことなくて
最後に会った時は、戦争の経験談を聞きたいと思って、名古屋空襲の時どんなだったかをおじいさんに質問した
でも小さい頃のことだし記憶がないのか、特にこれといったことは言ってなかったけど、あの時、はじめておじいちゃんの経験に興味を持っておじいちゃんのことを質問した
思い出という思い出はほとんどないおじいさん 思ったのはお母さんを生んでくれてありがとうということ
だからわたしもこの世界を生きられてる
おじいさんの死のおかげで私も死を少し考えた
何のために生きるのか生きがいは何なのか生きる意味は何なのか
わたしは、あー、やりきったーと思って死にたい
生きてる限り経験できること、人と自然と関わり合い、泣いて笑って切磋琢磨して宝物体験をたくさん作っていきたいなって改めて思った
おじーちゃんありがとう(*´꒳`*)
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