ヒロアカでみえる覚醒=ゴールではないという話

このブログ、1年以上前に書いた覚醒の段階の記事が人気で
スピリチュアルなこと、とくに覚醒とか目覚めに興味がある人の多さに驚くのですが
そんな記事を書き、1年以上経った今。
わたしが覚醒とは何か、と思うと、よくわからないというのが正直なところです。
宇宙のしくみとかあれこれを知り、頭で理解してワークやらなんやらやって、現実創造するって事=全て自分の思い通りにコントロールできるということではないし
どれだけ知識も経験もある人でも、自分のこととなると、思考のクセとか観念だったり壁がまた出てくる、そして気づいて修正するということをし続けていくものなのだと思います
そもそも何もない、全て思い通りだったら人間やってる意味なし。感情があり、観念があるから個性があり、物事が変化したり何かが起こり、面白い。
その経験を楽しむために私たちは生きている。わたしはそんなふうに思っているわけです。それも言ってみればわたしの考え方で、正解でも不正解でもないのだと思うのです。
さて、前置きが長くなりましたが、最近、学生の子に勧めてもらったヒロアカ(僕のヒーローアカデミア)をAmazonプライムで見て
主人公のデクがオールマイトの”個性”ワンフォーオールを継承する話
あれは、なんだかいろんなことに繋がる設定だなーと今日改めて思ったのです
そもそもワンフォーオールを継承する前にもすごい努力をして
継承してからも、そこがゴールではなく、始まり
デクは周りの助けを得ながら、自分で考え、元々自分が持っているヒーローオタクで”無個性”という個性を活かして成長、変化していく。
これは、いろんな捉え方ができると思うのだけど、人生そのものとも言えると思った。
わたしたちは全員、生まれて赤ちゃんの時から必死に生きてきた。手や足を使えるようになり、歩けるようになり、自分でトイレに行けるようになり、話せるようになり、段階を経て、成長してきた。
ひとつひとつレベルアップして
“技”を取得してきた
名目上、社会的価値があると思われるものとそうではないものに分けられるけど
資格があるからそれができるわけではない。覚醒したからスピリチュアルの達人になるわけでもない。ヒーリング習ったからヒーラーとして人を癒せるわけでもない。
結婚したから幸せになるわけでもない。
その名目の全てはスタートに過ぎない。人生において、そこに至る過程と、その知識をどう活かしていくのか。どうしていきたいのか。
その人とどう生きていきたいのか。そこから得られる感動とか喜びや悲しみとかの一喜一憂が経験したいだけなんじゃないかな。
ヒロアカも、わたしの場合、一人ひとりの心の動きとかストーリーがあるから涙出まくりだった。勝ったとか負けたとかどうでもよくて、そこにその人のストーリーがあるから感動するんだよねっておもふ。
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