人間関係のあれこれに思いふけるひとりごと

人間関係のあれこれに思いふけるひとりごと

人は繋がりを求める

きのうボーッと考えていたこと

幸せの定義はひとそれぞれで一概には言えないことだけど

人が結婚して子供を育てたいと思う根本にはなにがあるのか

1人でいると寂しいから?パートナーがいると安心するから?子供がいれば将来の不安がなくなるから?

何かをしたいと、本当に心の底から思った時、理由も言い訳もないものなんじゃないかな

なぜその人が好きなのか?なぜそのひとといたいのか?なぜそうしたいのか?

なんか楽しいから。落ち着くから。

楽しいのはなぜか?気が合うから。夢中になれるから

私の場合それ以上理由はない

全ての人がそこに沿って生きていたら?

そしたらみんなが高校や大学に行くことはなくなるんじゃないかな

みんなが結婚や子供を持つことを選択しなくなるんじゃないかな

望みも幸せも100人いたら100通り

この世界には、80億通り

だけど、人と関わりを持つことを経ちたい人はきっといない

この世界に自分一人だったら何も生まれないし、生み出す必要性すらない

だからわたしたちは生きている

その1人では生み出せない創造をするために。その経験をするために。

いま自分が繋がってる人たちのことを思うと幸せ

今朝は今までシェアハウスやら海外やら会社やらで本当にたくさんのコミュニティに属してきて

そこで色んな人たちと色んな距離感で色んな経験をしてきたことを思い出した

その時、その場を共に共有し

旅先で会っただけの人と人生の深い話をしたかと思えば

毎日顔を合わす人たちのプライベートは何も知らない関わりがあったり

その場、その時の状況とか雰囲気でその関わり合いを楽しんできた

そしてまた新しい場に行くと、その時共に過ごした人たちと会ったり

いつもだんだんと連絡を取ることは無くなっていくけど、あの時間を楽しく過ごした仲間という記憶と経験は私の中に残る

きっとそれだけで良い

人はそうして生きていく。この刹那を。

そう思っていたけど、そうじゃないパターンをきっと私は今経験している

出会った仲間たちがインターネットを通して出会った仲間だからか

物理的距離が元々離れている仲間たち

だけど気持ちはいつも隣にいるような、一緒にいるようなそんな関係

その中でも、一瞬だけ関わって消えていく人がほとんどだし、関係性は変わり続けるのかもしれないけど

彼らは私にとっていつでも頼れる仲間たち

そう思える存在が人生で得られるなんて

人間不信とか友達いないとかいつもどこか漠然と人間関係に悩み続けてきたわたしにとってはすごく幸せなこと

だけど、ふと寂しさを感じたり孤独を感じる瞬間がある

でもそれって、人間であり続ける限り誰しもがずっと感じ続けるんじゃないかな

といっても、私の価値観、感覚からみるとそう。というだけで、きっとそう感じない人もこの世界にはいっぱいいるのかもしれない。

断言できることは自分がそうということだけ。