人間関係の悩みをつくるもの
わたしには幼なじみとか、古い付き合いの友達がいない。
子供の時から”親友”というものに憧れて、幼なじみとか、いつも一緒にいる友達という存在がいる人を羨ましく思っていた。
10代の時には、自分は23歳くらいで結婚していると思っていたし、アニメやドラマをみて憧れたのか俗に言う普通に生きる頭しかなかった。
35になったいまも結婚もしていないし親友もいない。
だけど、いまのわたしの理想の人間関係を築けている。自分が心を開いている存在にはなんでも話せるし、互いにそう思える関係性がある。
3年半付き合ったパートナーとは、パートナーとか、恋人とか、そういう枠をとっぱらって、世間からみたらシングル。
わたしにとっての彼の存在の感覚が変わっただけであり、わたしの中からは消えないし、前よりもお互いにその存在に感謝しリスペクトしていて、その”パートナー”という名目をつけて縛り付ける必要性を感じなくなった。
一般用語で言えば”友達”という枠に入る存在たちもわたしにとってはそんな言葉を当てはめてしまえるような存在ではない。
友達という言葉に違和感しかない。
この手の話は前も何度か書いているけど、ここ最近、ますますクリアに感じている。
いま自分が会いたい、話したいと思う人たちって、なんでその人なのかもはや理由がない。感覚でそう感じる。
あ、今この人と話したいな〜ていう時だけ話す。そこには友達だからいつも一緒にいるとか、暇だからとか寂しいからとかそういうのがない。
何が言いたいのか、というと、人間関係の問題のひとつはその”枠”だとわたしは感じている。
その言葉の中に概念があり。期待や執着や色んな定義が生まれる。
それも、ある意味楽しい経験ではあるけど、わたしはその言葉により”親友”だと思ってた人に裏切られたと感じたり、”彼氏”だからこうして欲しいとか、そういう相手に求める期待を生むことは、人間関係の問題を生む一つの原因だと思う。
恋愛や結婚に関して言えば、恋心みたいなトキメキは、やがて変化し、情に変わるし、”結婚”という言葉をキラキラしたものというイメージを植え付けられ、その期待からがっかりというか、日常に不満を感じてしまうことも、当然だと思う。
子供がいて家族がいて、しあわせを感じている人もたくさんいるし、それは素敵なことだと思うけど、そもそも結婚しなくても家族は作れるし、変化していくのが当然のものを、結婚という制度で縛り付けることによって、逆効果になってるのではないかと思う。
それは、結婚に限らず付き合うとか友だち関係の暗黙の約束事もそう。そこにはみんなが認知しているルールがあり、それも自然に反している。
人間は変化していくものだから、環境や付き合う人たちが自然と変わっていくものなのに。
その枠があることで、その人と常に一緒にいて、他の人と遊んだり楽しい時間を過ごせば批判され、怒られ、罪悪感を感じるなど、誰が好き好んでやるのだろう。
他の人と交流があるからこそその人への感謝や大切さに気づける、そこにとどまっていると、目の前の当たり前のありがたさに気付くのは難しい。外に出て、他の人と交流して、そのありがたみに初めて気づけることだと思う。
こうあるべき は、ない。ひたすら自分を自由にする。自分にとって自分がどうすることがしあわせか。それしかない。
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●Youtube再開しやす わたしが全てをリセットした本当のホントの理由&これからの新しい時代の生き方へのシフト
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